俳句になるやならざるや(四)2008年01月06日 10時48分20秒

 今年も既に七ヶ月過ぎた。「俳句朝日」が休刊し、「俳句研究」も八月で休刊である。「俳句研究」は改造社から昭和九年三月に総合誌として創刊された。復刊と休刊を繰り返し、昭和四十三年三月から高柳重信が編集を担当した。昭和五十八年に高柳重信の死去後、「俳句研究」の発行は角川書店傘下の富士見書店に引き継がれて現在に至ったが、ついに休刊である。採算が取れないほど売れなかったのだろうか。重信の頃は「俳句」と「俳句研究」は対立軸として存在したが、やはり売れなかった。今は両誌とも角川書店の雑誌であり、対立軸は存在しないが、読者の奪い合いは存在した。結局、どちらかを残すとなると角川書店創刊の「俳句」を残さざるを得ないのだろう。しかしながら「俳句研究」は「俳句」よりも古い由緒のある雑誌である。ここは是非角川書店を離れ、新たな編集方針で一刻も早い復刊を希望する。

 休刊した総合誌があれば、思わぬところで創刊された総合誌もある。それはインターネット上で創刊された「週刊俳句」である。読者数はまだ「俳句」誌には及ばないかも知れないが、週刊というだけありスピードが売りである。

 四月二十九日創刊。毎週日曜日に発行。八月五日現在、毎週休み無く発行されており、十五号が発行された。

 当初、「俳句」「俳句研究」に載った俳句の批評、エッセイと俳句論が中心であったが、俳句の掲載も始めた。私も五十句載せてもらった。

 また、「週刊俳句賞」が設けられ、発表があった。これは十句出しの俳句賞である。選者は八田木枯、櫂未知子、齋藤朝比古、石田郷子、対馬康子、筑紫磐井の諸氏である。編集部の都合かも知れないが、選者の発表も作品が発表された後だった。選者狙いで応募する人には物足りなかったかも知れない。

 通常の俳句賞と最も違う点として、応募者の互選と読者の投票がある。選者点を優先する措置がとられるので、今回は互選と一般読者の点が力を発揮したように見えなかった。オールスターのファン投票までは行かないとしても、何百点も読者点が入ったが、選者は零点などという作品がでてくるのも楽しみのうちである。

 何の賞でもそうかも知れないが、密室性が結構有る。今回は応募が四十作品と少なかったためか、予選がなかった。全作品を「週刊俳句」誌上で公開したので、少なくとも予選にまつわる悪い噂や作者の思い込みは無かった。さらに、読者参加の俳句賞として、盛り上がり様まで、「週刊俳句」を読んでいると伝わって来る。面白かった一ヶ月であった。

 さて、栄えある第一回週刊俳句賞は岡田由季さんに決まった。俳句は以下の通りである。

  主婦として裸足ですごす午前中

  白南風の午後がはじまる畜産科

  半身乗り出し夜濯ぎのもの干せり

  如雨露から捩れた水の出てきたり

  見てをらぬときに噴水高くなり

 俳句入門の時、先逹から歳時記を持ちなさいと言われた。私が最初に手にした歳時記は角川書店の『合本俳句歳時記』であった。残念ながら、数度使用したあと、酔っぱらって何処かへ落してしまった。次に使っているのが山本健吉の『最新俳句歳時記』文春文庫版。一番読んだ歳時記であり、しばらく見ていなかったが、ぼろぼろになったのを最近また使っている。

 今年、角川書店から文庫版の『俳句歳時記』第四版が上梓された。春、夏、秋まで出た。例句がいいとインターネットで評判である。いま、俳句を始めたばかりの人にはこの歳時記を紹介している。江戸から新興俳句、俳句評論系の俳人までの句を拾い集めている。たとえば、霧の項には

  風に乗る川霧軽し高瀬船   宗因

  霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 芭蕉

から始まり、

  街燈は夜霧に濡れるためにある 渡辺白泉

  見えざれば霧の中では霧を見る  折笠美秋

当然、

  白樺を幽かに霧のゆく音か   水原秋櫻子

も入集している。

 このような選句にたいして不満も有ろうが、私は好きである。

 対馬康子句集『天之』富士見書房刊、著者四十代の作品。現在「天為」の編集長であり、昔から大学俳句会の先輩であったが、俳句はあまり知らなかったと愕然とした。邑書林から『セレクション俳人・対馬康子集』が出て居るが、手元に無かったため、三十年前の「原生林」にのっている作品を読んだりした。昔の句の方が断然面白い。

  一片の地図超えてゆく蜥蜴の歩

  物蔭に砂山の如桜あり

と言う句が出て来た。書いてあることは現実ではないが、物に沿って俳句が書かれているのが面白い。今の対馬康子を読んでみると、当時の空想なような着想がないのである。三十年前と同じ俳句を書いていても仕方が無いのではあるが。

 『天之』から

  曖昧に海折り返し泳ぎけり

  花冷えの硬貨を落とす望遠鏡

  ありふれた海を畳んでいる扇子

  白服の胸を開いて干されけり

 鈴木太郎句集『秋顆』角川書店刊、こちらは著者十八年間の作品である。四十代から六十代である。この年月だと発表された句も莫大なもので、三百五十八句に凝縮する作業は大変ものだったと推察される。『秋顆』より、

  放生会前の人押す膝頭

  鯛提げてゆく大雪の三鷹駅

  黴を噴く八幡太郎の幟旗 

  自然薯を掘りたる穴に足入れて

 私も昭和六十三年に『虎刈』を出したので、約十九年間句集を出していない。膨大な作業が待っている。

        雷魚72号から

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