俳句になるやならざざるや(1)2007年10月13日 10時48分41秒

 四谷の晩紅舎で開催された「坪内稔典俳書展」を見た。字が読みやすくて良かった。甘納豆十二ヶ月屏風もあった。

  三月の甘納豆のうふふふふ

  桜散るあなたも河馬になりなさい

  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

  君は今大粒の雹、君を抱く

  帰るのはそこ晩秋の大きな木

 といった句が飾られていた。私は「君は今」の句が一番だった。

 三十年近く前、俳句を初めて間もない頃、坪内氏と句会をともにしたことがあった。その頃はまだ前衛俳句という括りが生きていた頃で、若手の前衛俳人が集まる句会だった。私は前衛俳句というものを読んでも分からず、三橋敏雄に私淑していた程度であったが、小林恭二に連れられて二、三回参加した。そこで一句、「ぐい飲みが転がる」句が坪内氏の選に入り嬉しかった記憶がある。結局前衛俳句を書く力はなく、いつの頃からかわかりやすい俳句、ただごと俳句を目指している。

 さて、今号から暫く現代俳句について書かせてもらうことになった。私自身が俳句実作者であるので、いろいろ読んでも常に自分の作りたい俳句を気にしてしまう。ただごとに拘ってしまう。

 俳句の世界も底辺があって頂上があるピラミッドを形成している。ピラミッドの頂点付近には名人のただごと俳句が輝いている。

  瀧の上に水現れて落ちにけり  後藤夜半

  あたたかき十一月もすみにけり 中村草田男

  しぐるゝや駅に西口東口    安住 敦

 ただこととではあるが、何かあるのである。そうでなければいくら虚子選の「ホトトギス」雑詠欄で巻頭を取ったところで私ごときのところまで伝わってくるものではないだろう。

 頂点に行けば、ただごともいろいろと取り揃えられているが、私はピラミッドの底辺あたりがただごとの宝庫と思っている。

 俳句の評価が定まっていく順として、まず「句会」があり、次はそれが「俳誌」で活字になる。「俳誌で批評」されるところまでいけばかなりの評価であるが、ただごと俳句は大部分が「句会」の段階で葬りさられてしまう。句会段階で俳句を探すというのは無理。せいぜいたくさん俳誌を読むくらいのことしかできないが、それもたいへんな作業である。ただごと俳句探しの対象をいろいろな俳誌まで、できれば掘り下げたいが、まずはピラミッドの中腹辺りにある句集から始める。



   『星槎』明隅礼子句集

 前から気にしていたが、私は風景句を書いてもあまり上手くいかない。見たまま俳句なのに客観写生の技術が未熟なために、良い景色が書ききれない。

  初御空みずのあふみの揺るぎなし

 この句など見ていると、大景を見て主観を交て書くのが風景句成功のポイントと思える。好きな句では

  瀧の音ひとつは山のかなたより

  青あらし猫が頭突きをして去りぬ

  ひとつづつ鈴はづさるる神輿かな

  虫売の黙つて虫を鳴かせけり


  金の鈴入りし浮輪を鳴らし来る

  出水して地雷も流れゆきしとか

 出水の句には思わぬものが流れてくることがある。明隅さんは仕事で地雷の埋まっている地域にも行っていたので、このような句もできたのだろう。日本にいて普通に暮らしていても、地雷がたくさん埋まっていて、たくさんの人が被害に遭っていると言うところまでは知ることができる。だが地雷も出水で流されるなんてことはわからない。ただごとだが重い句である。

  袋掛けしたるバナナに強き雨

 バナナの句は多いが、袋掛けとはしらなんだ。バナナ俳句好きの私にはたまらない句である。



   『あやめ占』大木孝子句集

 あまり気楽には読めない句集である。お気楽な私が選んだのはこういった句である。

  寒晒なり佐藤鬼房全句集

 ここでは「寒晒」で鬼房全句集を褒めているのだろうが、どうも全句集が寒風に吹きさらされているような感じもする。そうするとただ褒めているのではない。

  盆の風ゆくもかへるもなまぬるき

  空也忌のペットボトルがへこと鳴り

  そりやあもう箱など要らぬ晩白柚

 晩白柚は九州八代地方で取れる巨大な柑橘類。九州と言えば朱欒が有名だが、晩白柚はもっと大きい。俳句の数は朱欒にはまだ敵わない。私も晩白柚の俳句はあまり書いていない。皮が厚く、冬中飾っておいて春先食べても萎びていない。確かに箱はあるけれど要らない。

  湯婆の蛇腹まつすぐにはならず

 湯湯婆の蛇腹とは良いところに気がついた。通常蛇腹は伸び縮みするものの代名詞だが、本句では蛇腹が縮んだままなのである。金属製の湯湯婆ならばその通りなのである。「ならず」に作者の気持ちが詰まっている。

 

  『慈庵句集』 谷雅子

 今回紹介した句集の中では一番私に合った句集である。

  夕立のけはいばかりで去りにけり

  新松子内より朽つる磨崖仏

  立春の奈良漬けの粕掻きおとす

  食べ頃の三渓園のわらびなり

 俳人は吟行と称して、そこらじゅうほっつき歩いている。句帳と鉛筆を手に持って、皆でぞろぞろしながら、何かいいものはないかと探し回っている。蕨なんかも当然よい句材であり、春そのもののような言葉である。作者は蕨を見たとたんに「食べごろ」と思ったのである。だいたい蕨のような明らかに食べられる野草を見ると、句材としてよりも食材としての感動を覚えるのではないだろうか。最初に覚えた感動を素直に俳句にしただけである。
            
                          「雷魚」69号より

俳句になるやならざるや(二)2007年10月14日 06時11分01秒

 仕事の都合で、五年ほど東京を離れ九州で暮らしていた。東京へ戻ってきたのは昨年の夏。その五年間で出席した句会は、年に一回上京した時に出ていた同人誌の句会だけで、せいぜい五回だった。東京にいたころは月二回は句会に出ていたので、激減した。戻って来てからは以前と同じように月二回の句会を半年続けた。結局ここ十年、同じ句会しか出ていないので、句会とはこういうものだと思い込んでいた。

 先日、本当に久しぶりに所属する同人誌以外の句会へ参加した。もちろん結社の句会ではなく、ベテランから初心者まで揃ったいわゆる自由な句会である。こういった句会があることを久しぶりに思い出した。参加者の中にはあいかわらず歳時記のことを季語辞典などと言う人がいて、必ずいるんだなと面白かった。

 これに対して結社の句会は対極にあるのだろう。結社というのは主宰が一番偉く、良くも悪くも主宰の言うことは絶対である。主宰の価値観を押し付ける世界である。主宰の好みで毎月雑詠欄での順位付けがされているので、結社の中における自分の実力がどの程度のものかはっきりしてくる。句会を含めて俳句結社というものを俳句経験の浅い人間は一度体験するのもよいだろう。俳句初心者が行儀見習いの場として結社を体験すると自由な句会のおもしろさも倍増するだろう。しかしながら、かく言う私自身が結社の句会が嫌で長続きしなかった人間なので、行儀は悪い。

 今号は同人誌から。「らん」三十六号

 発行人は鳴戸奈菜、編集人が皆川燈である。創刊号から読んでいる同人誌である。編集人の皆川燈と昔同じ結社誌にいたことがあり、その縁で同人誌を互いに贈呈し合っている。永田耕衣が亡くなり、「琴座」の人が集まって平成十年に創刊。当たり前のことかもしれないが、しっかりと季節ごとに発行されている。毎号二、三人が見開き二頁の特集。他の同人は七句出し。そのほかに巻末に会員らしき人の句が載っている。

 柳田芽衣「こゑに出て」から

  生きて秋幽霊坂に居る私

  金色の口開きたる秋の鯉

  生きものに家路がありぬ鉦叩

  きりぎりす低き枕をはづしけり

  何もなしただむささびの掻きたる木

 「生きものに」の句は作者の思いあるいは願いであるが、「秋の鯉」は物に即しており、見たままであるため読みやすい。私も「鯉の口」には思いがあり、鯉がいると必ず口を開けるところを見ている。そして三橋敏雄の「霞まねば水に穴あく鯉の口」あるいは「涅槃会の水に穴あく鯉の口」をくちずさむ。藤田湘子にも「鯉の口朝から強し半夏生」(『狩人』所収)といった好きな句がある。私も鯉の口で「寒の鯉生きてゐるので口あける」という句を書いた。

 本号では柳田の句集『カルテの面』の特集を組んでいる。池田澄子さんが批評されている。そこで取り上げた句を見ると私でも読めそうな句もあるが、歯の立たない句が多い。志の高さを感じる。

吉本宣子「塩辛き天」より

  琴坂やおとろふ肉の紅葉して

  祟神うちむらさきにとぢこめられ

  家中に月を招きぬ妣の来て

 「祟神」を閉じこめた「うちむらさき」は怖い。食べようと思ってあけたとたんに、祟神に祟られる。

 寺嶋斎之助「勇み足」

  終りはあるよつづれさせ途ぎれ途ぎれ

 実は自由律俳句を俳句誌に載った形で読んだことはなかった。今回きちんと「らん」を読んで初めて自由律の存在に気が付いた。すごく長くも短くもないので、見ているだけでは気が付かず、読んで初めて違和感を覚えたのである。いわゆる五七五の定型なのだが、砂を噛んだような思いをする俳句は現代俳句協会にはごろごろしている。それに比べたら、自由律と思って読めば、違和感はあるが不快さはないのがありがたい。

 俳句年鑑を見ると「層雲」とか「青い地球」が載っているので、自由律俳人はまだ居るんだと安堵するが、多分自由律俳人にはお会いしたことがないと思う。実は私は昔から自由律は好きで、上田都史の『自由律俳句作品史』をよく読んでいたが、そこまでの知識であった。  冬も近づいてきてまだ鳴いているつづれさせへの作者の思いが実に良い。虫の声が寂しくなってきたことばかり俳句になり、虫の身になった俳句がなかった。これは良い。

 皆川燈「途中から」

  途中から姉は媼と気づきけり

  こよなく愛した陶の火鉢の梅蕾む

 「媼」の句、ある時姉のことを媼と気づいた。移動とか何かやっている時、今まで姉としか思っていなかった姉が媼であることに気が付いた。小林恭二の俳句に「貝寄風や町のあかりもうねるほど」と言う句がある。ずっと私はこの句を「灯りもう寝るほど」と意味もはっきりせずに覚えていた。ところがある日突然、「灯りも畝るほど」ということに気が付いた。日常でも今まで思っていた物に対する認識が変わる瞬間がある。

 海上晴安「群盗」

  盥の中鯰放てば跳ねる音

 同じ号に丑丸敬史が「耕衣の愛したモチーフ」として「鯰」の第三回を掲載している。耕衣の鯰といえば、「泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む」が有名だが、分かり易いので有名になったのではないか。やはり耕衣の鯰には分かり難くて変な句がたくさんあることが、この連載でわかった。それに比べて「盥の中」はおとなしい句であり、見たまま聞いたままのような句だが、鯰が見えてきた。

 鳴戸奈菜「十一月の風」

  目を瞑る十一月の風わたり

  老犬に曳かれるままに冬に入る

  旅とも云えぬ耳男を捜す枯野かな

 「老犬」の句は位置的変化を時間の変化へと転換している。犬に曳かれていけばそのまま枯野に遭遇し冬になったということではない。気分の残る句である。「耳男」の句は耳男が自分のことのようでおもしろかった。

 雷魚70号より

俳句になるやならざるや(三)2007年10月21日 17時47分09秒

 今年の黄金週間は四日休んで、一日出勤し、また四日休めた。五月締め切りの原稿の準備、自分の句集の原稿整理くらいはしなければと思っていたが、結局どちらもできず仕舞いだった。遠出もできなかったので、隣の飛鳥山公園とか、古河庭園を何度か散策した。飛鳥山公園は桜時期もそうだが、どうも埃が多くすきになれないが、一角にある澁澤栄一の旧居は緑も濃く、地面が舗装していないので、気に入っている。また、古河庭園の方は薔薇の時期にはまだ少し間があったが、かなりの人出があった。ここの池にはたくさんの大きな亀と、もっとたくさんの鯉が泳いでいる。私は薔薇よりも亀が好きだ。

 「静かな場所」創刊第二号。副題に「田中裕明研究と作品」とある。田中裕明が亡くなったのは、平成一六年一二月三十日でだった。あまりに早い死を惜しみ、森賀まりさんを代表にして、創刊された同人誌が「静かな場所」ある。  私は田中裕明とは、何度か会い、ほんの一、二回回句会をともにした程度の間柄である。私は田中裕明と同時代に俳句を書いてきて、句集も何冊かいただいてはいるが、熱心な読者ではなかった。病んでいるということも知らなかったために、またどこかでお会いすることもあろうなどと高をくくっているうちに、亡くなってしまた。私はまだ熊本にいて新聞の訃報欄を読んで驚くばかりだった。 

 今号では第一句集の『山信』時代の田中裕明を特集している。昭和五十二年十八歳から二十歳の時代である。

  ひぢ伸ばし冰提げ来る男かな

  水眼鏡とらず少年走り去る

  春山にかこまれて立つ男かな

  濯ぎものたまりて山に毛蟲満つ

  初めてのまちゆつくりと寒椿

 「静かな場所」に転載されている句から拾った。「青」に入会してからそれほど時間がたっていない。最初の三句は一物であり、男と少年の形容である。次の二句は二物で拵えており、効果的な配合がなされている。「寒椿」の句は町の景色として読めるが、「毛虫」のほうは「たまる」と「満つ」で比例関係を表しているような句である。いずれの形にしても、言葉をきちんと使っており書きなぐった感じがしない。私は残念ながら十代の頃は俳句を書いていないが、自分の句と比べるのが恥ずかしいくらいの言葉使いである。

 『花間一壷』から

  軒しづくごしに鞍馬の夏柳

  大き鳥さみだれうををくはへ飛ぶ

 読んだ形跡がなかったため、読んでみた。『花間一壷』は二十代前半の句である。『山信』の頃よりさらっと読めてしまう。一度読んでとったのが右の二句。どちらも一物である。「さみだれうををくはへ」というかな表記で読み返しているうちに面白くなった。表記によって読む人を立ち止まらせているのかもしれない。さらっと読んでいると二物の句も一物風に読めてしまい、つまらない。もうちょっと切れを意識しながら読むと二物の面白いのもある。

  水取の空のあかるむ煙草盆

  分銅屋の煙突ならむ桃の花

  浮寝鳥石段の端見えてをり

 『櫻姫譚』から

  西行忌あふはねむたきひとばかり

  冬景色なり何人で見てゐても

  茸山に唯ならぬ顔わけ入りぬ

  八重櫻氷の溶けし水つめた

  法善寺横丁秋の簾押す

  竹葉降る体内にまだ石を持つ

  鮎の魚籠つよきみどりのまじりけり

 いつ頃読んだかは不明だが、付箋が張ってあったものを引いた。『櫻姫譚』は平成四年出版。あとがきにあるが、波多野爽波は平成三年に他界している。裕明二十六歳から三十歳までの句集であり、生前の爽波選を経ている句と思われる。私家版の『山信』をのぞけば三十歳そこそこで二句集である。当時はこの年代のトップランナーだったのだろう。

 『花間一壺』より、私の喉に引っ掛かる句も増えて来ている。逆にそういった句が増えるとつまらないと思う読者も増えたかもしれない。

 『夜の客人』から

  次男坊遠くへゆけりなづな粥

  隼を見しことつげよ五月鯉

  家よりも外の明るき茄子の馬

  苅田にて小さきうつはで茶を呑みぬ

  字を書いて消して港の日短か

  さびしいぞ八十八夜の踏切は

  泳ぐことベッドのうえでかんがえる

    飯うまし弥生いろこき壬生菜漬

  浮いてゐるだけが泳ぎかよくわからぬ

  人の寄るところ鳥寄る雪解風

  掘り来る春蘭のため家くらし

  囀や椀の中なる明石焼

 『夜の客人』は最後の句集であり、遺言のような句集である。『櫻姫譚』と『夜の客人』の間には『先生から手紙』があるが、手元にないため省略した。

 どうも初期の田中裕明の句は私の好みに合わないが、最後になるとだいぶ共鳴してくる。若い頃から変わらぬ端正な言葉使いだが、「よくわからぬ」といった投げやった言葉が出てくる。諦めている訳ではないのだろうが、簡単に書いている。改めてこれから面白い句ができたただろうにと残念でならない。

 六月にフランス堂から『田中裕明全句集』が刊行される予定なので、改めて読んでみよう。爽波と裕明の俳句の違いが気になるので、全句集を読んであらためんて考えたいと思う。

 「静かな場所」同人作品より

  蔓ものの花のわずかに秋日濃し 対中いずみ

  そのへんの墓に当たりてくわりんの実 満田春日

  忘年や並びて動く鶏の顔  山口昭男  

  紅芙蓉険しき顔になつてゐる  森賀まり

  煮魚に骨のあとあり星月夜  中村夕衣  

  水鳥のわれより先に来てゐたり  和田悠

       雷魚71号から